ストレスのある方だけお読み下さい。
ストレスで悩んでいる人多いですね。
ストレスは「必ずある」んですよね~。
これをベースにしましょう。
ストレスがあるのが前提なら、あってもおかしくないですよね。
というより当たり前ですね。
無いと思っているから、ストレスがあったら、さぁ~大変。(笑)
だから、ストレスにさらされたとき、
「ストレスがある!」
「只今、ストレス中!」
「ストレスに耐えてるのよ~、ストレスにねっ!」
ってストレスが特別扱いされてしまいます。
問題はストレスそのものではなく、
問題はストレスそのものではなく、
問題はストレスそのものではなく、
どう向き合うか「とらえ方」とその「対処」だと思います。
↓よくある人間関係のストレスを例にだしますね。
「一番嫌いなあの人さえいなくなれば、私のストレスは無くなるのに・・・。」
実際に「一番嫌いなあの人」が転勤あるいは引っ越し等でいなくなったら、
どうなるか・・・・?
→やはり、ストレスでイライラします。
なぜか?
「二番目に嫌いな人が一番に浮上してきた」からです。(笑)
この繰り返しです。
ストレスの「排除」という考え方では、本当の問題解決にはなりそうもないですね。
相手が変わるのを待っています。
じっと待っています。
ストレスを感じながら待っています。
ず~っと待っています。
過去の「事実」は変わらないのに、
変えようもないのに必死にわざわざ思い出して、
ストレスを感じているんですね。
まるで牛が食べたものをはき出して、
またむしゃむしゃ食べているように・・・。
「事実」は変わらないが、事実を受け止めて
「どう解釈するか」という「現実」は変えられます。
200ccのコップに100cc水が入っているという事実があります。
「なんだ半分しか入ってないのか。」 →トホホ・・・という現実。
「ラッキー、半分も入っている!」 →ラッキー! という現実。
「事実」は変えようがありません。
でも、自分の解釈によって「現実」は変わります。
「事実」は一つでも、「現実」は幾通りもあります。
というか、幾通りもある中から、自分が選択した「現実」を味わっているだけなんですね。
実は、ストレスを感じようとする「現実」を選択しているのは自分だったりします。
(認めにくいですが。)
「私は、あの人からストレスを受けているんだ!」
というあの人次第の世界を「選択」した「事実」ではない、「現実」があります。
(あの人が変わらない限り、変えようがない世界です。)
自分から変わる、変化する、レベルアップする、向上する、
といった「成長」はしようとはしません。
あたかも、自分が変わったら「負け」のような考えをしています。
→「あの人が変わればいいのよ!」
→「あの人が変われば、私の「勝ち」、
→「私が変われば、私の「負け」。
みたいな考えですね。
「勝ち」、「負け」の世界に生きている人が多いですね。
「勝ち」、「負け」の世界から抜け出せない人たちの「ストレス堪え忍び合戦」。
「勝ち」、「負け」の世界から抜け出しませんか。
成長して抜け出そうよ。
小学校3年生同士はケンカになります。
同じレベルですから。
中学3年生同士もケンカになります。
同じレベルですから。
でも、小学校3年生と中学3年生はケンカになりません。
なぜですか?
答え:→レベルが違いますから。
茶碗同士をぶつけると、確実に割れます。
私とあの人のお互いの正論をぶつけ合うと・・・、激しく割れます!
茶碗とこんにゃくをぶつけると・・・、割れません。
そこには、「柔軟性」があります。
「柔軟性」を会得し、ケンカにならない状態も「成長」です。
「正論」をぶつけあって「勝って」も・・・、幸せじゃない。→(?)
「勝った」けれども、幸せじゃなかったりします。
ある意味「負け」る余裕があるのも「成長」でしょうね。
「余裕で負ける」って格好いいと思いませんか?
あの人が成長するために、私が「余裕で負ける」っていう美学。
もしかして、「勝つ」の反対語は「負ける」ではなく、
「勝たせてあげる」かもしれませんね。
もし、そういうパラダイム(価値観の枠組み)で生きていけたら、
かなり幸せになれるでしょうし、
人生楽しいですよ。(!)
相手も幸せになれますし、
楽しいですよ。(きっと。)
楽しんで「ストレス」に向き合ってみてください。
そこには以前感じていた「ストレス」なんて存在しませんから。
そもそも、乗り越えられない困難(ストレス)は与えられないそうですよ。
(この前、神様が言ってましたよ。)
↑これ、高度なジョークですよ。(笑)
私、何教徒でもありませんから。(大学は京都でしたけど。)
・・・この文章理解するのって、ストレスですか?
だったら、楽しんでください。 (笑) (^O^) (^u^) (^v^)
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