それは今までに取り組んできたスポーツと、
ある劣等感との関係が深いのです。
★小学校編
もともと、運動が好きだった私は
小学校の時は地域の少年野球部でキャプテンをしていました。
5番か6番バッターで、キャッチャー以外の全てのポジションをしました。
でも、練習中よく三振をして泣いていました。
キャプテンなのに三振なんて・・・
って考えるとすぐに涙が出てしまうのです。
情けない思いで悔し泣きばかりしていました。
★中学校編
中学に入ってバスケットをやり始め、ここでもキャプテンでしたが、
尿検査に毎年引っ掛かるようになり、
ついに3年生の時にはドクターストップ がかかりました。
腎臓の機能障害だったようです。
キャプテンでありながら練習や試合に出られずにいました。
(悔しかったです。本当に。)
面倒見と人当たりの良さ、まじめなだけでキャプテンに選ばれたので、
練習はできなくてもコートの外からしっかり見学していました。
★高校編
高校に入ってからもバスケットは続けましたが
3年間一度もレギュラーにはなれませんでした。
レギュラーどころか、
みんなと一緒の練習メニューをこなしたことは少なかったのです。
2年生の夏休みに足の靭帯を切るひどい捻挫をしてしまい、
(↑ブチブチって音が聞こえました)
みんながうまくなっていく様子をコートの外で見学していました。
松葉杖をつきながら。(これも辛かった。)
体力が無く、入院もしました。
レギュラーでも無かったので何度もバスケを辞めようと思いました。
自分の居場所がないような気がしたから・・・。
そんな時、ある先輩が怪我をして、
私がテーピングをまくことになったのですが、
これがうまく出来ていると褒められて、
調子に乗ってその先輩の足と腰をマッサージしました。
これがまた好評で、他の先輩にも調子に乗ってどんどんやりました。
すると同級生の中で私が一番上手で、一生懸命やっていると先輩から認められて、
それ以降トレーナー的なことをやらせてもらっていました。
小学校、中学校とキャプテンをやっていた私が、
高校に入って、何一つ認められなかったのですからこのときは嬉しかったです。
同時に自分の居場所が見つかったような気がしました。
「これでみんなに喜んでもらおう!」素直にそう思いました。
このことがきっかけとなって、もっと体のことを勉強しようと思いました。
そして「学校の先生」になりたいという漠然とした夢から、
「治療院の先生」になろうと思い始めました。
★大学編
その後、東洋医学の大学に進んでハンドボールを4年間やりましたが、
1年生のときに練習中に腰を痛め大学病院に入院し、憂うつな日々を送っていました。
(椎間板ヘルニア、腰椎分離すべり症、坐骨神経痛を合併)
小中高と思うようにスポーツができなかったのに、
大学にはいっても1年生でいきなり怪我。
「またかよ~」って泣きそうになりました。
しかし、これがきっかけで、腰痛のことについては大学の図書館の本を調べまくりました。
そして、腹筋・背筋を毎日300回づつ(!)して、はり治療、お灸も自分でしました。
3年生の夏には亀裂骨折していた腰椎も新しい骨が再生してくっつき、完治しました。
今では、しびれていた足がどっちの足だったか忘れてしまいました。(笑)
小学校から大学までスポーツ好きだった私はいつも怪我に泣かされましたが、
結局はそれが今の自分に役立っています。
怪我でクラブができない学生の気持ちは人一倍良く分かります。
入院も何回かしたので、思うように体が動かせない患者さんの
歯がゆさはよく理解できます。
だからこそ、早く直して、その後のリハビリまで指導するようにしています。
キャプテンなのに三振ばかりで情けなかった少年野球時代。
キャプテンなのに練習できなかった中学時代。
プレーは全く通用しなかったけれども、「ケアする」ことに目覚めた高校時代。
いきなり怪我をして入院したけれど、腰痛のことは身をもって学んだ大学時代。
スポーツがしたくても思うようにできない。体が動かせない。
体力がない等の劣等感の固まりでしたが、
「治療してもらう」、「ケアしてもらう」側から
「治療する」、「ケアする」側へと意識が180度転換できたことが、
私をこの世界に向かわせました。
劣等感のお陰ですね。(笑)
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